旅に出る必要がある

久しぶりに実家に帰ると、ホワイトボードのカレンダーが真っ白になっていた。少し前までは、祖母が、祖父の予定をホワイトボードに書き込んでいた。今は祖父が弱り、出かけることができなくなってしまったので、書く予定がないんだなあ、と思うと少しさみしい気持ちになる。

日が暮れると、祖父は、脳内でタイムトラベルしているようだ。私を、自分が若かった時の恩師だと思って「こちらが私の家内です」と祖母を紹介する。祖父がどんな人か、ずっと一緒にいてもよくわからなかったけれど、きっと、若いとき、自分によくしてくれた恩師が家を訪ねてきた、そのシーンが一番幸せな記憶だったのだなあと知った。

私がもし認知症になったら、いつのことを思い出すのかなあ。間違いなく言えることは、今みたいに、会社の小さい窓を眺めながらデスクワークをしているシーンじゃないことは確かだ。だから、旅をしなくちゃいかんな、と思う。職場で出会った80代の女性も「行けるときにいろんなところへ行った方がいいわよ。行ける機会があるならね。」と言っていた。いつかは動けなくなる。でも今は動けるから、旅に出る必要がある。

なんだか急に読みたくなって、実家の本棚から、河合隼雄の『物語を生きる』という本を引っ張り出した。これは、『竹取物語』とか『源氏物語』とか、王朝時代の物語を心理療法家の視点から分析した本なんだけど、その中で興味深かったのが「場所の重み」について描かれている箇所だった。

「物語において、特定の場所が大きい意味をもつことがある。それは、その場所自体が何らかの重要な特性をもっているようにさえ感じさせられる。」「特定の意味をもつ場所、トポスという考えは、近代になって個人を中心とする考えが強くなるにつれて、急激に薄れていった。個人の在り方、性格が大切であり、それがあちこちと場所を移動しようとも、中心的性格は変わらない、と考える。ある人物が、ある場所において、何かを感じるとしても、それは、あくまでその個人の感じることである、と考えられる。これに対して、トポスの考えを重視する者にとっては、その場所そのものが、なんらかの性質をもつと感じられる。『ゲニウス・ロキ genius loci』(『土地の精神』とでも言うべきか)の存在を信じるのである。」(「物語を生きる」 岩波現代文庫 139頁)

そういえば、10月15日にいった可児市の「GREEN and GOLD」ってフェスで崎山蒼志さんのライブを観たんだけど、「その土地の記憶っていうのがあると思う」ってお話をしていたな。土地じたいに力があるとしたら、何かを変えたいとき、もんもんと同じ場所にいるより移動することで解決することがあるのだと思う。